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第042回

2011.05.27

毛利家110527さて、現在毛利博物館で開催中の企画展「端午~お殿さまの最新モード~」も五月二十九日(日)で終了します。これも現在展示中のものですが、毛利敬親所用の甲冑です。

 

太平が続く江戸時代、武将としての大名を象徴する甲冑は、一般に、実用性よりむしろ、見た目が重視され、過剰ともいえる装飾がなされるようになります。しかしこの甲冑は、そうした見た目の華やかさとは無縁です。黒々とした漆が目立ち、威毛(おどしげ)とよばれる、よろいの部品をつなぐ紐は、ごくわずかに表に出されていますが、紺色なのでよろい本体の色にとけ込み、目立ちません。兜の正面を飾る前立(まえだて)も、歴代の兜にくらべてやや小さいように思われます。また、総角(あげまき)とよばれる、よろいの各部を体に装着するための紐に付けられた装飾用の房も、背面の一部以外には一切使われていません。

 

これらの特徴から、このよろいは、江戸時代のものには珍しく、徹底的に実用的に作られたとわかります。敬親といえば、幕末動乱期に長州藩を主導した藩主ですから、当然といえば当然ですが、このよろいを着て、藩兵を実際に指揮することを想定していたのでしょう。先年、このよろいを詳細に調査した際、臑当(すねあて)や手甲(てっこう)など、汗のたまりやすいところに錆の目立つことがわかりました。敬親はこのよろいを頻繁に着ていたのでしょうか。着ていたとしたらどのような時期に、どのような場面だったのか興味深いところです。

 

敬親は、江戸時代の他の多くの藩主同様、心の内を赤裸々に語ることをしないため、敬親自身が何を考え、何を成そうとしていたのかは、今ひとつはっきりしません。したがって、敬親の想いや、それが幕末期の長州藩をどのように動かしたかは、結局敬親の行動などから解き明かすしかないのですが、その際には、文献資料だけはなく、このよろいのように、遺品からも総合的に解き明かすことで、より深みのあるものになると思われるのです。