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第041回

2011.05.20

毛利家110520この写真もあえて紹介する必要はないと思いますが、「陣笠(じんがさ)」です。

 

陣笠とは、武士が行軍や外出などの際、頭に被るかぶり物のことです。そもそもは足軽など、兜を用いることができない下級武士たちが、兜の代用品として用いていたものですが、軽く便利なことから、江戸時代には大名など上級武士たちも用いるようになったとされます。この陣笠も、毛利家のものにふさわしく、漆が黒々と厚く塗られ、重厚な作りとなっています。

 

この陣笠は、箱書によると、長州藩最後の藩主となった毛利元徳の所用品だとのことです。元徳は、徳山藩主毛利広鎮(ひろしげ)の子として生まれましたが、男子のいなかった長州藩主毛利敬親の養子に迎えられ、毛利宗家を継承した人物です。初名を広封(ひろあつ)といい、箱書にはこの名が記されていますから、元服間もない頃に用いられたものかもしれません。また元徳は、幕末動乱期、藩主敬親の名代として、京や大坂など上方へも足繁く往復したようですから、あるいはそうした際にも用いられたのかもしれません。

 

元徳が、英国人襲撃を計画した高杉晋作を抑えたことや、禁門の変に軍勢を率いて中途まで出陣したことはよく知られています。元徳自身の考えがどこまで反映されているかは不明ですが、少なくとも腰の重い人物ではなかったようです。

 

しかし現在、元徳は正当に評価されているとは思えません。それは戦前、公爵として無批判に称揚されたことへの反動によるものでしょう。また、あまり個人の意見を明言しないことなどが、独創性や先見性を重視する現代的なリーダー観にそぐわないことも要因のようです。

 

しかし、元徳が幕末維新期の政治史において果たした役割に、少なからぬものがあることは間違いなく、元徳の歴史的役割を偏見なく正確に描き出すことが、幕末期長州藩の実態を正確に描き出す上でも必要不可欠だと思われるのです。