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第040回

2011.05.13

毛利家110513写真は、あえて紹介する必要もないかも知れませんが、「法螺貝(ほらがい)」です。

 

山伏が山中の修業などでよく使っているものですが、武家の間では、鉦(かね)や太鼓などと同様に、戦陣における号令用の道具として用いられたといいます。

 

この法螺貝は、大きな貝と全体を覆う朱色の網が特徴的ですが、よく見ると吹き口が銀で作られ、しかもそれに毛彫りで海草が描かれるなど、なかなか細工も手の込んだ逸品です。

 

毛利家の伝承では、毛利元就が戦場で用いたとされています。もちろん元就自身が吹くわけではないと思われますが、残念ながら元就がどのように使ったか、本当に元就のものだったのか、確実な証拠は全く残っていません。

 

生涯に数多の合戦をくぐり抜けたとされている元就ですが、実際に合戦の様子がわかる資料はほとんど残されていません。毛利宗家を継ぐ前「多治比殿」と呼ばれていた頃や、家を継ぎ当主となってからの元就は、おそらく最前線に出て、自ら弓を引き、刀を振るっていたと思われますが、その頃の戦いに関する資料は、ほとんど皆無といってよいほど見あたりません。比較的確実な資料が残されている厳島合戦や防長攻略、出雲尼子氏攻めに関しても、残されているそのほとんどは、合戦に先立つ調略や、一族部下に対する指示、あるいは戦後の論功行賞に関するものです。それについては、厳島合戦以後の元就が、さすがに自身で刀を振るうような最前線に出馬することがなくなったことも大きな要因かと思われますが、とにもかくにも、元就の実際の戦場での活動は、驚くほどよく解らないのです。

 

現在元就の活躍として知られる戦場での言動は、そのほとんどが、後世に作られた軍記物に記されたものです。軍記物によって作られた虚像ではなく、実際の元就は果たしてどんな武将だったのでしょうか。大変な作業ではありますが、少しずつ明らかにしていきたいものです。