山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

お問い合わせはこちら

第033回

2011.03.25

毛利家110325さて今回も家紋に注目してみたいと思います。和服の正装を一般には「紋付袴」などと呼び、なかには自分の家の紋は何だったかとあわてる人がいるように、和服の正装に家紋はなくてはならないと、今日でも考える人は多いのではないでしょうか。

 

そもそも武家の家紋は、戦場での目印として発達したとされます。敵味方の識別にも用いるためか、シンプルで幾何学的なデザインが多いのはそのためといわれています。江戸期になると、よりデザインを重視するようになり、どの大名家でも花鳥や古典に由来する文様など、やや優雅な家紋を併用し、藩主個人の調度などには、むしろこちらの方が多く使われるようになる傾向があるようです。

 

毛利家の家紋「沢瀉(おもだか)」もそうした家紋の一つだったのでしょう、江戸期の藩主の小袖や裃・熨斗目(のしめ)などには、この「沢瀉」が多く用いられています。ところが、女性の衣裳となると、家紋が付されたものは極端に少なくなります。

 

写真のように、女性の正装とされた打掛は、その衣裳全体に刺繍や染めで文様が描かれ、とても家紋を描くような余白は見あたりません。これは毛利家だけでなく、どの大名家や将軍家の衣裳を見ても共通しています。また、幕末期に毛利一族が衣裳などに用いた紋章の一覧が残されています。そこには、藩主や藩主子弟を特定するための個人紋まで記されていますが、女性の紋章は一つとして記録されていません。これらの事象をどう理解したらよいのでしょうか。

 

ひょっとすると、江戸時代の武家女性は家紋を用いなかったのではないでしょうか。明治の世になるまで女性は名字を持ちませんでした。家紋も名字と同じく家を表示する重要な要素ですから、これは家制度の問題として真剣に検討してみる必要があるようです。

 

前回もそうでしたが、わかっているようで全くわからないもの、それが家紋なのです。