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第031回

2011.03.11

毛利家110311大名家のお雛さまといえば、数多くの人形もさることながら、豪華な雛道具もまた一見の価値があります。雛道具は大名家の婚礼道具を忠実に模したとされますが、そのうちでも、現実の家紋が描かれ、実物そっくりに精巧に作られたものは、実際の婚礼に際し、嫁ぎ先へ婚礼道具を披露するために作られたといいます。真偽の程は定かではありませんが、大名家の雛道具が、実物の婚礼道具に、姿形や文様までそっくりに作っていることはまちがいないようです。

 

一人のお姫様が嫁ぐにあたり、大小数百の婚礼道具が作られたといいますが、現在、その大半は散逸し、全貌を知ることは困難です。したがって雛道具は、所詮ままごとの道具にすぎませんが、かつての大名家の婚礼道具の全貌を今に伝える貴重な資料となっています。

 

さて、その婚礼道具が散逸した原因の一つとして、近年おもしろい見解が提示されています。

 

もう十年以上前になりますが、佐賀の鍋島家で、家紋が別の家の紋に塗り替えられた痕がはっきりとわかる婚礼道具が発見されました。どうも鍋島家に、どこかの家からお姫様が嫁ぐ際、一度婚礼に用いられた道具を、上から新しい家紋に塗り替えて再利用したようなのです。また毛利家でも、実物こそまだ見つかっていませんが、対馬宗家に十代藩主毛利斉煕(なりひろ)の娘万寿姫(ますひめ)が嫁ぐ際、蔵にあった有り合わせの道具をかき集めて婚礼道具に仕立てて送り出したという記事が出てきました。藩財政が逼迫した江戸時代の末期、婚礼道具の再利用がどの藩でも行われていたのです。そのため、特別な由緒をもつ道具以外、大名家には、それほど多くの婚礼道具は残されていなかったのではないかと思われるのです。

 

大名家の婚礼は、武家諸法度で幕府が厳しく規制を加えるほどの重要な外交問題でした。しかし江戸時代末期、外交上の体面を保ち、国家の威厳を内外に示すために、何よりも重視すべき婚礼道具すら、再利用品でまかなわなくてはならないほど諸藩は窮乏していたのです。