山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第029回

2011.02.25

毛利家110325毛利博物館の企画展「お雛さま」では、お雛さまや雛道具の愛らしさを紹介するだけでなく、実際にそれらを使っていたお姫様たちの生活を偲ぶ品々もあわせて公開しています。

 

写真は、打掛(うちかけ)という衣裳です。打掛は、女性用のいわゆる上着で、帯で締めず、上からうち掛けるだけなのでこう呼ばれています。江戸時代には、大名家の子女など上流武家女性の正装とされ、外出時や儀式への参列、表御殿への出御などに着たものと思われます。

 

残念ながら所用者は不明ですが、デザインなどから、江戸時代後期のものと考えられています。紅の綸子地に、絞り染めなどの染めや刺繍で、早朝にわき立つ雲気を表した立涌(たてわく)文様に、菊の花束と蝶が舞うさまを、隙間なく描いた豪華なものです。その素材の豪華さや、制作の手間暇を考えるならば、気の遠くなるような制作費が必要だったことでしょう。

 

さて、江戸後期の長州藩といえば、倹約令を出すとともに、豪商からの借金などでその場を凌ぐのが当たり前となっていました。しかし一方では、こうした豪華な衣裳や、華麗なお雛さまが数多く作られています。これはどう理解すればよいのでしょう。

 

十代藩主毛利斉煕(なりひろ)の夫人が、十三代藩主毛利敬親に宛てた、おもしろい書状があります。彼女は、村田清風らの財政改革が、歴代藩主法要の中止に及ぶと、国家の社稷を危うくするとして、猛然と彼らの罷免を要求したのです。彼女のいう「国家」とは、長州藩(国)と毛利家(家)のことを指しました。彼女は、家臣たちに歴代藩主を崇拝させ、忠節を再確認する年忌法要の軽視を、国家の危機と見なしました。儀式などを続け、家の体面を保ち、三十六万石の雄藩にふさわしい格式を備えることこそ、「国家」存続に不可欠と考えていたのです。

 

厳しい倹約令を出す一方で、豪華な衣裳やお雛さまを作り続ける。これも同じ論理からと考えられます。格式と現実、歴代の藩主は、様々な見解に揺り動かされざるを得なかったのです。