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第028回

2011.02.18

毛利家110218そろそろ梅花の香りが毛利氏庭園にもただよう季節となりました。山口市や防府市などでは、先日春を告げるイベントとして「山口お宝展」が始まりました。毛利博物館でも、このイベントに協賛し、毛利氏が大内氏より引き継いだ貴重な文化遺産として、全国的にもよく知られている重要文化財の「通信符」を展示しています。

 

「通信符」は、銅で作られた印鑑です。側面に彫られた文から、享徳二年(一四五三)、朝鮮王朝が大内教弘に与えたものとされています。ややいびつな形ですが、それは、印面を左右二つに切断しているからです。右側一方のみを大内氏に下し、左側は朝鮮側で保管して、大内氏の使者が持参した通信符の印面との照合に用いたと考えられているのです。

 

大内氏がこの印鑑を用い、朝鮮王朝との交流を深めたことは、みなさんよくご存じのことでしょう。ではそれを引き継いだ毛利氏はどうだったのでしょうか。毛利氏時代の対外交流に関しては、史料上の制約もあり、ほとんど分かっていません。しかしこの印鑑とともに、毛利隆元が自ら記した覚書が残されています。それによると、隆元は正寿院の院主に「牙符」一つを与えたようです。「牙符」とは、朝鮮王朝が大内氏に与えた象牙製の渡航許可書とされ、「通信符」を押印した国書とともに提出が義務づけられていたようです。当時朝鮮王朝は、先進国としての威信を示すため、日本からの使者を盛大にもてなしていました。しかしその負担は重く、朝鮮側は、この牙符の枚数を絞ることで、使船を減らそうとしたようです。また正寿院は大内氏によって建立された寺院で、大内氏の対外交渉を担っていたことが明らかにされています。これらから、毛利隆元もまた、朝鮮王朝に使者を送ろうとしていたことが分かるのです。

 

この「通信符」は、大内氏の事業が毛利氏によって引き継がれたこと、山口県の歴史が途絶えることなく連綿と続いていることを、たしかに伝えてくれる貴重な文化財だといえるのです。