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第023回

2011.01.14

毛利家110114まだまだ正月気分が残っていますので、今回は、少し華やかな作品を紹介しましょう。

 

この絵は、藤原道長の夫人倫子の還暦を祝う行事を描いたものとされます。『栄花物語』によると、この日、宴が催された土御門邸には、いずれも天皇の后や東宮妃となっていた道長と倫子の四人の娘が多くの女房衆とともに訪れたといいます。そこでは、六十歳の賀にちなんで六十名の僧侶が集められ、一門の子弟四人が、君主の長久を祝う舞楽「万歳楽(ばんざいらく)」を演じたといわれ、その情景を、作者の住吉広行が忠実に再現したもののようです。

 

この絵は、写真ではわかりにくいのですが、縦八三p・横一四四pもある、かなり大きな絵です。箱書には、長州藩の八代藩主毛利治親(はるちか)の正室節姫(ときひめ・邦媛院)が、表道具、いわゆる武家が正式な行事の場で用いる道具として作らせたと書かれています。大広間など、武家の公式行事を行う広間にふさわしく、このように大きなものが作られたのです。

 

ただこうした表道具には、儒教や中国の故事にまつわる、どこかお堅い絵が描かれることが多いのですが、還暦のめでたい祝いとはいえ、貴族の宴席を描くのは少し珍しい気もします。このあたりは、もう少し制作の事情を深く掘り下げてみる必要があるかも知れません。

 

節姫の父は徳川宗武といい、八代将軍徳川吉宗の次男に生まれ、御三卿の一つ田安徳川家をおこした人物です。彼は、国学を大成した賀茂真淵らと深く交わったことで知られています。節姫もまた、和歌や国学・古典研究に情熱を注いだ宗武の影響を受けていたのかも知れません。

 

直系でないとはいえ、徳川将軍の孫娘との縁組をまとめたのは、おそらく治親の父毛利重就だと思われます。内政に手腕を発揮したことで著名な重就ですが、実は外交面でもかなりのやり手だったようです。彼が何を目指したのかは、今後究明が必要ですが、彼のまいた種がその後の長州藩にどう影響を与えたのか、興味は尽きません。