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第022回

2011.01.07

毛利家110107あけましておめでとうございます。今回は、正月にちなみ、以前紹介した「正月飾り」のなかから、「御重代太刀(ごじゅうだいたち)」をとりあげたいと思います。

 

武力をもって世を治めていた武士にとって、太刀は武力の象徴であり、武器のうち最も大切なものと考えていたようです。まさしく「刀は武士の魂」でした。したがって、この「正月飾り」でも、太刀は、特に重要な意味を持っていたと考えられます。

 

写真は、刀身を収める拵(こしらえ)です。鞘(さや)には、金銀をふんだんに用いた梨地蒔絵の地に、金箔で菊・桐の紋章をあしらい、柄(つか)や腰にあたる部分に組紐を巻いています。これは、糸巻太刀(いとまきのたち)と呼ばれ、儀礼の場で用いる特別な拵なのです。

 

毛利家の「御重代太刀」は、記録によると、寛永十一年(一六三四)、時の将軍徳川家光の上洛に従った初代長州藩主毛利秀就が、朝廷より拝領したものだそうです。おそらく初代藩主の栄誉を称え、「代々の家宝」という意味をこめた「御重代」と名付けられたと思われます。

 

ただ、寛永十一年という年に注目すると、少し違った意味合いがあるかもしれません。この上洛は、それまで幕府の実権を握っていた前将軍徳川秀忠が寛永九年に死去し、三代将軍家光が名実ともに最高権力者となったことを、天下に知らしめるため、行われたものでした。そこでは、家光の権威を確立するため、「朱印改」が行われました。朱印改とは、前将軍が諸大名に与えた知行を確認の上、新将軍が改めて知行を与えなおすことです。

 

実はこの機会に乗じて、長州藩の分家にあたる長府・徳山両毛利家が、毛利宗家から自立しようとする動きがありました。しかし、宗家の長州藩主毛利秀就の猛反対により、防長二国はこれまでどおり毛利宗家に与えられ、支藩の宗家からの独立は未遂に終わりました。

 

この太刀が、毛利家の分裂を防いだ記念に、家宝とされたというのは考えすぎでしょうか?