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第019回

2010.12.10

毛利家101210この写真は、前回も触れた「御佳例吉甲冑(ごかれいきちかっちゅう)」です。

 

胴には、漆が厚く塗られ、金で瓢箪唐草(ひょうたんからくさ)が描かれています。やせた土地でも蔓をはわせて生い茂る瓢箪は、子孫繁栄のめでたい図案とされていました。また、股を保護する佩楯(はいだて)には、日の出を思わせる大きな日の丸が描かれています。

 

このよろいは、毛利元就が用いたとされ、「おめでたい吉例」という意味の「御佳例吉」の名が付けられ、毛利家の正月飾りになくてはならないものとされています。

 

しかしよく見ると、少し変なことにお気づきでしょうか。そう、胴にくらべ、面が大きいのです。それもそのはず、胴以外は大人用ですが、胴は子供用なのです。また胴は、漆で固めた前後二枚の板を、左脇だけ蝶つがいでつないだ「仏二枚胴」といい、元就死後の桃山時代に流行した形式なのです。兜も頭巾を模した「頭巾形(ずきんなり)」といい、やはり桃山時代に流行した変わり兜の一種です。したがって、このよろいかぶとは、元就の物ではありえません。

 

しかも記録には、当初「御佳例吉兜」と記されています。本来は、兜だけだったのですが、いつの間にかよろいが加えられているのです。大きさが合わないのは、そのためのようです。

 

江戸時代、どこの大名家でもそうですが、藩政が困難に直面すると、家臣の一致団結を図り、それぞれの家を興した英雄をもちだして、創業期の精神をとりもどせと訴えるようになります。そのときに使われるのが、その英雄の遺品なのです。当然そんな古い物がそうたくさんあるわけではありませんから、それ相応に古くて立派な物を探しては、遺品に仕立て上げる事例が数多くあるのです。この「御佳例吉甲冑」もそうした一つと考えられます。

 

この甲冑は桃山期の優品として、それ自体美術的な価値の高い物です。それがなぜ元就の遺品とされたのか、その解明は萩藩の歴史を解き明かすことにもつながる重要な課題といえます。