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第010回

2010.10.08

毛利家101008

これは、「三子教訓状」の名で知られる、毛利元就が隆元・元春・隆景三人の男子に宛てた自筆書状です。この中で元就が、「毛利」の二字をおろそかにすれば、毛利・吉川・小早川三家とも即座に滅亡するぞと脅し、弟二人には、毛利家さえ安泰ならば、その力で吉川・小早川両家は治まるから、心配せず毛利家のため尽くすよう諭したことはよく知られています。

 

さてその続きで、元就が、隣接する五竜城の宍戸家に嫁がせた娘「五竜局(ごりゅうのつぼね)」の事に触れていることはご存じでしょうか。元就は、当時の女性が、政略上他家に嫁ぐのは、戦国の習いとしてやむを得ないといいながら、やはり彼女の身の上と将来を案じて、三人の息子たちに、この娘のことを気にかけるよう頼んでいるのです。

 

毛利氏と宍戸氏は長年争っていました。原因は定かではありませんが、所領が接しているだけでなく、早々と大内氏の傘下に属し、次第に安芸・備後・石見三国に勢力を拡大する毛利氏に対し、宍戸氏は反大内氏側で行動することが多く、毛利・宍戸両氏の境界は常に緊張状態にあったようです。元就は、隣接する宍戸氏と敵対するのは、毛利氏の安定にとってよくないと考え、娘を嫁がせて宍戸氏との対立に終止符を打ったのでした。その後の宍戸氏が、毛利氏のよき協力者となり、江戸時代には、一門筆頭とされたことはよく知られています。

 

ところで、面白いことに、別の書状で元就は、五竜局の夫宍戸隆家はさしおいても、彼女とは何があっても心を隔ててはならないと諭しています。全体の文脈の中でとらえる必要はありますが、実際に宍戸一族の頂点に立つ夫隆家ではなく、三兄弟と母も同じで濃い血縁の五竜局との仲を優先させろという元就の言葉には、一族結束の力を元に領国を治めようとする元就の政治哲学がよくにじみ出ています。同時に、かわいい娘を手放した元就の、父としての親心の現れともいえ、このあふれる家族愛こそ、元就のもつ魅力の一つなのです。