山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

お問い合わせはこちら

第008回

2010.09.24

毛利家100924これは、毛利元就が、厳島合戦の前年に播磨国龍野(兵庫県たつの市)の赤松政秀に依頼して、刀匠長船清光につくらせた刀の鐔(つば)です。節竹を丸い枠とし、中に竹の枝葉を透かした意匠となっていることから「竹透鐔(たけすかしつば)」と呼ばれています。

 

この鐔は、箱に添えられた巻物によると、元就が三男小早川隆景の居城を訪問した際、記念に与えたものといいます。元就は、永禄四年(一五六一)三月末に十日ほど、長男の隆元とともに隆景の城を訪れていますから、そのときのことでしょう。

 

ご存じのとおり、隆景は元就の実子ですが、十歳の頃、早世した小早川興景の後継者として、竹原小早川氏の当主となります。その後出雲で戦死した沼田小早川正平の妹婿となり、両小早川氏を統合したのです。安芸国内において、毛利氏に次ぐ勢力の小早川氏が傘下に加わったことで、毛利氏の勢力が安定し、後に中国地方を制覇する礎を築いたことは周知のところです。

 

元就は、この婚姻をことのほか重視していたようで、当初婿入りしたばかりの隆景に、いかに小早川家中に気に入られるかが大切と、懇々と諭しています。その甲斐あってか、隆景は、厳島合戦のころには、小早川家中を束ね率いることに成功していたようです。また、隆元と妻女の仲も睦まじく、彼女は隆景の死後も毛利氏に従い、山口の問田に移り住みます。

 

しかし一方で、隆景は、小早川家の利益を優先するあまり、毛利家の意向と異なる意見を主張することが多くなり、兄で毛利家当主の隆元を苦慮させるようにもなりました。この状況を危惧し、来るべき宿敵尼子氏との決戦に備え、兄弟や家臣の融和を図り、一致団結を再確認するために行われたのが、元就・隆元父子による隆景居城の訪問だったのです。この鐔は、兄弟が一致団結して勝利を手に入れた、厳島合戦の記念品でもありました。元就としては、そのときのことを思い出し、兄弟一和の大切さを伝えたかったのかも知れません。