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第006回

2010.09.10

毛利家100910これは、建久四年(一一九三)に出された、ずいぶんと古い古文書です。おそらく、毛利家伝来の古文書としては、最古だろうと思われます。

 

内容は、藤原為資なる人物を、周防国熊毛郡の安田保(やすだのほ)地頭職(じとうしき)に任命するというものです。さて、どこにも毛利氏の名前が出てきません。そうです、この古文書は、本来毛利氏とは何の関係もないのです。

 

では、なぜこれが毛利家に伝えられたのでしょうか。その答えは、文書の中にあります。これは、鎌倉幕府の所領管理などを行った「政所(まんどころ)」という役所が発行した、「政所下文(くだしぶみ)」という、いわば権利の証明書です。日付のあとに署名している五人が、これを作成した政所の役人なのです。五人は対等ではなく、上段がいわば管理職、下段が実務の担当者に相当します。なかでも上段中央の人物は、「別当(べっとう)」といい、政所の長官でした。時の別当は「前因幡守中原朝臣」と署名しています。彼は後に姓を改め、「大江朝臣」と名乗ります。そう、彼こそ毛利氏の祖、大江広元(おおえのひろもと)なのです。

 

長州藩主となった毛利氏は、広元の子孫ではありましたが、いわゆる庶流であり、広元一族の本流ではありませんでした。それゆえ本拠の東国をあとにして西国に移動し、大成功を収めたともいえますが、おそらく広元ゆかりの品は、ほとんど持っていなかったのでしょう。そこで、この古文書は、本来全く毛利家とは縁もゆかりもないのですが、広元の署判がある貴重な文書として、何らかの方法で毛利氏が入手し、宝物の一つにしたと考えられます。

 

前近代、伝来は決して重要ではなかったのです。もちろん確かに越したことはありませんが、それよりも「誰が持つか」がより重視されていました。時代が違うと、ものに対する価値観すら違っていたのです。ぜひこの機会に、毛利博物館で、実物の多彩な世界を堪能してください。