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第003回

2010.08.20

毛利家100820古文書は読めない、分からないとして、博物館展示では敬遠されがちです。が、今回開催の企画展「教科書で見た!」には、あえて多くの古文書を「見て」いただいています。

 

西国最大の戦国大名であった毛利氏には、「教科書で見た」有名人からの書状が多く残されています。これもその一つ。署名をご覧ください。「信長」と記されています。そう、これは織田信長が、毛利氏の若き当主輝元と、彼を補佐する叔父の小早川隆景に送った書状です。

 

さて信長といえば、よく知られているのは、天下をあまねく武力によって治めることを示した「天下布武(てんかふぶ)」の印判でしょう。残念ながらこの書状には、その印判は押されていません。かわりに信長の花押がすえられています。

 

信長の花押は、中国の想像上の動物で、獣類の長とされ、王が仁政を実現したときにのみ、その証として出現するとされる「麒麟(きりん)」をかたどったといわれています。そういわれると、何となく形が馬に似ているような気もします。

 

当時書状などに印判を用いるのは、差し出す相手が目下の場合と考えられていました。信長は天下人として、豊臣秀吉・徳川家康と並び称せられます。しかしその実態は、関白や将軍となり、日本の支配者として万人に認知された秀吉・家康とは異なり、信長は京都を拠点とする戦国大名にすぎませんでした。したがって、信長と毛利氏とは対等でした。この書状で信長が花押を用いているのは、対等な大名である毛利氏に対しては、当然のことでした。信長が「天下布武」による天下統一を目指すかぎり、毛利氏との対決は避けられないものでした。

 

今回の企画展では、読めなくてもかまいませんから、ぜひ、古文書を「見て」ください。どうぞお気軽にお運びください。