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第002回

2010.08.13

毛利元就の肖像として最も有名な当館の肖像画(9月12日まで公開中)

さて毛利博物館企画展「教科書で見た!」ですが、そこで展示されているもののうちでも、何といっても、この「毛利元就像」ほどよく知られているものはないでしょう。深く刻まれたしわ、ほおからあごにかけて長く伸びたひげ、鋭いまなざし、元就の顔といえばこれ! というくらい定着していると思います。

 

こんなに有名な肖像画に謎がはたしてあるのか? 実はあるのです。毛利家の記録によれば、この肖像画を毛利家が手に入れたのは明治初年のことです。それまでは萩城の宝蔵や大納戸とよばれる、こうした毛利家の先祖伝来の什物を管理する部署には収められていませんでした。ではどこにこの絵は収められていたのでしょうか。

 

賛文の内容から、この絵は、元就の菩提所として孫の輝元によって建てられた洞春寺の広島移転を機に作られたと考えられています。そしておそらくそのまま洞春寺に収められたのでしょう。洞春寺は毛利氏の防長移封とともに移転し、江戸時代には萩城内に移されました。そして元就の菩提寺として、代々の藩主が崇敬していたことが知られています。

 

藩庁が山口に移転し、廃藩により萩城も廃城となったことにより、洞春寺も山口市の現在地に移転したといいます。また毛利家は、神道国教化の国策に従い、祖先崇拝を神式にきりかえました。そのため、かつての菩提寺との関わりも、江戸時代にくらべ希薄になったようです。この肖像画が毛利家の管理下に入ったのは、まさしくそのころですから、どうやら廃仏毀釈などとの関わりがありそうです。しかし、その辺りの詳しい事情はまだよく分かっておらず、今後の課題といえます。

 

この肖像画は、武将毛利元就の姿を今に伝えるだけでなく、維新変革期における長州藩主毛利家とその菩提寺の歴史を物語る重要な史料だといえるのです。