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禅寺に書きつける

2015.08.28

觥船一櫂百分空

十歳青春不負公

今日鬢糸禅榻畔

茶煙軽颺落花風

 

八〇三年生まれの杜牧(とぼく)の「禅寺に書きつける」詩。

 

■読みと解釈

觥船一櫂百分空

觥船(こうせん)をば一たび櫂(こ)げば百分空(むな)しく

[船ほどの大杯をひと飲みすると全部空(から)になり]

 

十歳青春不負公

十歳の青春は公に負(そむ)かず

[十年間の青春は公私ともに恥じることはない]

 

今日鬢糸禅榻畔

今日の鬢糸(びんし)は禅榻(ぜんとう)の畔(ほとり)にあり

[白髪になった今は禅寺の座禅用の腰掛けの側におり]

 

茶煙軽颺落花風

茶煙(ちゃえん)は軽く落花の風に颺(あが)る

[茶を沸かす湯煙が散る花風で少し舞っている]

 

■注目点

暮らしの変化に注目。

十年前の暮らしと今の暮らしの変化。

十年前の青春時代は、酒に溺れた人生。並々注いだ杯を一気に飲み干し、世間にも自分にも、恥じることのない、人後に落ちぬ、自信満々の酒びたり人生。

十年後の白髪時代の今は、酒とは無縁な人生。日々禅寺に参り、花びらの散る春風に吹かれ、茶を沸かす湯煙に身を預け、禅の世界に浸り、禅と茶と花と風と一体。自信満々の仏心びたりの人生。

十年間で変化した、杜牧の心身。その変化は喜ぶべきか、悔いるべきか。酒びたりは何だったのか。禅びたりは何なのか。人生って何なのでしょうか。

 

《PN・帰鳥》