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春を探す

2011.03.04

終日尋春不見春
杖藜踏破幾重雲
帰来試把梅梢看
春在枝頭已十分

 

戴益(たいえき)の「春を探す」。戴益は宋の詩人だが、生没年は不詳。

 

■読みと解釈
終日尋春不見春
終日(しゅうじつ)春を尋ぬるも春を見ず
[朝から晩まで春を探したが春は見えない]

 

杖藜踏破幾重雲
藜(あかざ)を杖(つえ)つき幾重(いくえ)の雲を踏破す
[藜で作った杖をついて幾重もの雲を歩き通した]

 

帰来試把梅梢看
帰り来たりて試みに梅の梢(こずえ)を把(と)りて看れば
[帰って来てちょっと梅の枝を手にしてよくよく看た]

 

春在枝頭已十分
春は枝頭(しとう)に在りて已(すで)に十分なり
[春は枝先に在ってもはや十分に春なのだ]

 

 

■注目点
春を発見する過程と、「見ず」と「看れば」に注目。
作者は藜の杖をついて一日中、春を捜しまわる。幾重もの雲をかき分け、かき分け、山奥へ入る。しかし、春は見えない。
杖の材料の藜は草。粗末な杖。それを使うのは老人。その杖で踏破するとは、やや誇張に過ぎるが、この老人は隠者かもしれない。
探しても、探しても見えぬ春。家に帰ってひょいと庭先の梅の枝を取って、よくよく看たら、枝先に春を探しあてた。春は遠くに行かなくても、近くにあったのです。
「見ず」と「看れば」の違い。「見」は「みえる」。「看」は「意識してみる」。遠くでは春はみえなかったが、近くでは看たのです。

 

《PN・帰鳥》