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旅の眺め

2017.09.15

百花原頭望京師

黄河水流無尽時

秋天曠野行人絶

馬首西来知是誰

 

六九〇年生まれの李頎(りき)の「旅の眺め」。

 

■読みと解釈

百花原頭望京師

百花の原頭(げんとう)より京師(けいし)を望むに

[多くの花が咲く原っぱ辺りから長安を眺めると]

 

黄河水流無尽時

黄河(こうが)は水(みず)流れて尽(つ)くる時無し

[黄河は水が際限無く流れ流れて休むことはない]

 

秋天曠野行人絶

秋天(しゅうてん)の曠野(こうや)には行人(こうじん)絶(た)ゆるも

[秋空のもと何もない広々とした野原には道行く人はないが]

 

馬首西来知是誰

馬首(ばしゅ)西に来たるは是れ誰(たれ)なるかを知らん

[西に向かってやって来る馬の主は誰だか分からない]

 

 

■注目点

何を眺めているかに注目。

黄河上流から首都長安を眺めているが、長安は見えず、見えるのは黄河の流れ。黄河は長安へ向け、流れ続ける。作者も黄河の流れ同様、長安を眺め続ける。だが長安は見えぬ。

そこへ馬に乗った男が、黄河の流れに逆らい、やって来る。その男は誰だか分からぬ。その男を見ていると、自分がなぜここにいるのか。それも分からぬ。

他人の姿を見て、我が姿を見る。我が存在を訝しがる。この様を支えるのが、愁いを起こさせる秋空、何もない野原、歩く人のいない野道。旅で眺めたのは景ではなく我。

 

《PN・帰鳥》