MENU

猪木寛至の漢字読み方年齢に国籍兄弟!病気や死因死亡も【アントニオ猪木】

10月1日の朝に元プロレスラーで参議院議員も務めたアントニオ猪木さん (本名:猪木寛至)79歳で死去されました。日本のプロレス界を盛り上げ、人気を博していたアントニオ猪木さんですが、近年では腰の手術に加えて心臓の難病「全身性アミロイドーシスで闘病中でした。

今回は、アントニオ猪木さんこと、猪木寛至さんの漢字と読み方、年齢に国籍と兄弟、病気や死因死亡もについてご紹介していきます。

目次

猪木寛至が死亡で死因病気は?

元プロレスラーで参議院議員も務めたことのあるアントニオ猪木 (本名:猪木寛至) さんが10月1日に自宅で死去されました。

猪木さんは、タンパク質繊維が心臓に沈着することから発症する心臓の難病全身性アミロイドーシスで闘病中でした。数万人に1人の確率で発症する難病とも言われております。

自宅での療養生活が続いているなか、2、3日前から低血糖で体調を崩し、10月1日の朝に状態が悪化し自宅で息を引き取ったとのことです。

猪木寛至の漢字の読み方

アントニオ猪木という名前が世の中では浸透している名前ではないでしょうか。

猪木さんの本名は猪木 寛至と書いていのき かんじと読みます。猪木さんは当初、本名でプロレスデビューをされましたが1962年にリングネームをアントニオ猪木に改名されています。

アントニオ猪木という名前が普段から聞きなれているので本名でお名前を聞くと違和感がありますね。

猪木寛至の年齢

猪木寛至さんは、1943年2月20日生まれ79歳で死去されました。

5歳で父親を亡くした猪木さんは、13歳で家族とともにブラジルへ渡り、コーヒー農場などで働いておりました。その時に現地で開催されていた陸上競技大会の砲丸投げに出場した際にで優勝し、ブラジルに遠征中だった力道山さんにスカウトされプロレスの道へ進んだのです。

帰国後、日本プロレスに入団し、1960年にジャイアント馬場さんと同日デビューを果たし、1962年からリングネームをアントニオ猪木と名乗り注目をあびていくのです。

猪木寛至の国籍

猪木寛至さんは、神奈川県横浜市鶴見区生麦町 (現:鶴見区岸谷) 出身で、日本国籍です。

猪木さんが5歳の時に父親が亡くなったことから家庭が経済的に厳しかったようで、13歳の時に貧困から抜け出すために、ブラジルへ渡っております。

その関係もあって日系ブラジル人と言われていた時もあり、国籍がどこなのか気になる方もいたようです。

猪木寛至の兄弟

猪木寛至さんには兄弟が10人いたようですが、長男は戦争で亡くなられているようです。

また、他に2011年に亡くなられております、政治家やテノール歌手として活躍されていた猪木快守 (いのき よしもり) さん がいらっしゃいました。

そして、松涛流空手道師範、オリンピック委員を務めていた相良寿一 (さがら じゅいち) さんもお兄さんのようです。

今では珍しい大家族だったようですね。

まとめ

今回は、10月1日に亡くなられた元プロレスラーのアントニオ猪木さん (本名:猪木寛至) がについてご紹介してきました。

数万人に1人の確率で発症すると言われている難病全身性アミロイドーシスと闘病中であった猪木さんが亡くなってしまい、各界からも追悼のコメントが寄せられているようです。

激動の時代を生きてきたアントニオ猪木さんが安らかにお眠りになられることをお祈りいたします。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次